2008年 05月 23日
キャメロン・ディアズの新作映画 |
ヤフーのエンターテイメント欄。たいてい、そのまんま東が浅香光代と和解したとか、どうでも良いことばかりがのっていて、あんまり注目していないのだが、今日は違う。ディアズの新作映画の記事が載っていた。
それによると、白血病の姉のドナーになるために生まれてきた妹が、ドナーになることを拒否し、さらに両親を相手取って訴訟を起こす、というストーリーらしい。大変興味深い。
ドナーにするべく、計画的に妊娠、選別、出産を迎える子どもを、デザイナーベビーという。生命倫理の分野では、以前からその問題が指摘されていた。すなわちその命は「ドナーになる」という宿命が課せられた命であり、ドナーにならないのなら「いらない」命なのである。
この妹はどういう根拠で両親を訴えたのだろうか。「ドナーになるための命なら、私は生まれたくなかった」ということだろうか。これによくにた考え方で訴訟を提起することで問題になるのが、アメリカ医事法で議論されるWrongful Birth訴訟、Wrongful Life訴訟である。
前者は、もし医師の診断が正しく行われていて、胎児が障害を持っているということがわかっていたら、私はこの子どもを産まなかった、という親による訴訟。後者は、障害を持って生まれてくるくらいなら生まれたくなかった、という子供による訴訟。
Wrongful Life訴訟は、生まれたくなかったと主張している点が非常に罰当たりに聞こえる。でも、この映画で、妹が「ドナーになるための命なんだったら、私は生まれてきたくなんかなかった」という主張したとしたら、それも罰当たりだと一蹴できるだろうか。私は難しいと思う。
最近娘が生まれた関係で全然映画を観に行けていないが、この映画はぜひ観に行こうと思う。
それによると、白血病の姉のドナーになるために生まれてきた妹が、ドナーになることを拒否し、さらに両親を相手取って訴訟を起こす、というストーリーらしい。大変興味深い。
ドナーにするべく、計画的に妊娠、選別、出産を迎える子どもを、デザイナーベビーという。生命倫理の分野では、以前からその問題が指摘されていた。すなわちその命は「ドナーになる」という宿命が課せられた命であり、ドナーにならないのなら「いらない」命なのである。
この妹はどういう根拠で両親を訴えたのだろうか。「ドナーになるための命なら、私は生まれたくなかった」ということだろうか。これによくにた考え方で訴訟を提起することで問題になるのが、アメリカ医事法で議論されるWrongful Birth訴訟、Wrongful Life訴訟である。
前者は、もし医師の診断が正しく行われていて、胎児が障害を持っているということがわかっていたら、私はこの子どもを産まなかった、という親による訴訟。後者は、障害を持って生まれてくるくらいなら生まれたくなかった、という子供による訴訟。
Wrongful Life訴訟は、生まれたくなかったと主張している点が非常に罰当たりに聞こえる。でも、この映画で、妹が「ドナーになるための命なんだったら、私は生まれてきたくなんかなかった」という主張したとしたら、それも罰当たりだと一蹴できるだろうか。私は難しいと思う。
最近娘が生まれた関係で全然映画を観に行けていないが、この映画はぜひ観に行こうと思う。
by eastriver46
| 2008-05-23 23:08
| 英米法関係