2008年 04月 19日
イラク活動違憲問題 |
名古屋高裁が、自衛隊のイラクでの活動の一部が違憲であると判断したことについての反応がとても意外で、マスコミの報道も、違憲と判断しながら原告を敗訴としたことを「ねじれ」と表現するなど、否定的なものが多いようである。
一般の人や、うちの法学部の学生が、このような報道だけに接して「うん、たしかに蛇足判決は良くないよな」と短絡してはいけないので2点コメントしたい。
1:違憲判断は蛇足かどうか
裁判所は、結論、つまり原告に具体的な権利侵害が発生していないので敗訴ということのみ言えば良いのであって、憲法判断までする必要はなかった、というのが、蛇足判決批判の要点である。なるほどもっともに聞こえるが、判決理由と傍論の区別にこだわりすぎた極論である。
例えば製造物責任について考えてみる。ある製品を使っていて事故が発生した。ユーザーとメーカー互いに譲らず訴訟に発展。そして裁判官の結論が「製品には欠陥があったが、時効により原告敗訴」となったとする。
この時、時効により原告敗訴としか言わなかったら、原告は「製品に欠陥があった」という主張が認められたのかどうかわからない。被告であるメーカー(特に設計した技術者)も「それは欠陥じゃなくてユーザーの使い方に問題があったんだ」という主張が認められたのかどうかわからない。
これは感情的にすっきりしないということに加えて、欠陥だという認定が外部に発表されなかったら、そのメーカーは欠陥を改善しないので、その他多くのユーザーを同様の事故の危険にさらすという重大な問題を含んでいる。傍論でも「書くべき傍論」があるのではないか。
メーカーなら、欠陥と認定されなかったとしても訴訟に巻き込まれること自体が業績に悪影響を及ぼすという「資本の論理」で、欠陥が改善されるかもしれない。しかし今回のように政府の行為ならそのような善処は期待できない。司法による牽制がどうしても必要だ。従って傍論でも書くべきである。
2:司法をなんだと思っているのか
傍論を言うべきかどうかという問題で、報道が傍論批判に傾いていることは驚きだが、もっと驚いたのは、内閣総理大臣、官房長官、防衛省関係者、自衛隊の責任者、みんながみんな「この判決は関係ありません」と無視を決め込んだことである。
つまりこの国では、裁判所がなんと言おうが、政府は政府の論理でこれからもやっていきます、と宣言しているようなものである。せめて「今後も国際貢献のあり方について議論を深めていきたい」と口だけでも言えば良いのに「関係ない」と言ってしまうということは、本当に司法に対する配慮がないからだろう。
かつて北陸電力の原発運転差止訴訟で、北陸電力側が負けた時に「裁判所がなんと言おうとあれ(問題の原発)は安全なんです」と発言した関係者がいた。司法の権威を認めないというのは、北陸の田舎電力会社ならではの感覚なのかと思ったが、日本政府の中枢にいる人でさえ、上のような有様である。
高裁の裁判官の判断ですら「関係ありません」と言われているのを見て、裁判員制度を控えた国民はどう思うであろうか。「法律のプロである裁判官の意見ですら、関係ないと無視されるくらいなんだから、私ら素人が地裁で下した判断なんて、どうせすぐ控訴されてひっくり返されるのね」と思うだろう。
加えて、今回のような国を相手にした訴訟では、国×市民団体という構図になりやすく、メディアへの発信能力で圧倒的に勝っている国側(特に内閣総理大臣)が判決直後に「蛇足判決」、「裁判所の言うことは関係ない」、「裁判官は偏向している」と繰り返すことの影響はとても大きい。
こうした問題というのは、イラクでの自衛隊の活動に賛成かどうかに関係なく、敏感であるべきだ。日本はまだまだ法や司法の尊重という意識が希薄で、偏向した市民団体と偏向した裁判官による変な判決という論調がほとんどというおかしさに気づかない政治家とマスコミが支配している国ということである。
一般の人や、うちの法学部の学生が、このような報道だけに接して「うん、たしかに蛇足判決は良くないよな」と短絡してはいけないので2点コメントしたい。
1:違憲判断は蛇足かどうか
裁判所は、結論、つまり原告に具体的な権利侵害が発生していないので敗訴ということのみ言えば良いのであって、憲法判断までする必要はなかった、というのが、蛇足判決批判の要点である。なるほどもっともに聞こえるが、判決理由と傍論の区別にこだわりすぎた極論である。
例えば製造物責任について考えてみる。ある製品を使っていて事故が発生した。ユーザーとメーカー互いに譲らず訴訟に発展。そして裁判官の結論が「製品には欠陥があったが、時効により原告敗訴」となったとする。
この時、時効により原告敗訴としか言わなかったら、原告は「製品に欠陥があった」という主張が認められたのかどうかわからない。被告であるメーカー(特に設計した技術者)も「それは欠陥じゃなくてユーザーの使い方に問題があったんだ」という主張が認められたのかどうかわからない。
これは感情的にすっきりしないということに加えて、欠陥だという認定が外部に発表されなかったら、そのメーカーは欠陥を改善しないので、その他多くのユーザーを同様の事故の危険にさらすという重大な問題を含んでいる。傍論でも「書くべき傍論」があるのではないか。
メーカーなら、欠陥と認定されなかったとしても訴訟に巻き込まれること自体が業績に悪影響を及ぼすという「資本の論理」で、欠陥が改善されるかもしれない。しかし今回のように政府の行為ならそのような善処は期待できない。司法による牽制がどうしても必要だ。従って傍論でも書くべきである。
2:司法をなんだと思っているのか
傍論を言うべきかどうかという問題で、報道が傍論批判に傾いていることは驚きだが、もっと驚いたのは、内閣総理大臣、官房長官、防衛省関係者、自衛隊の責任者、みんながみんな「この判決は関係ありません」と無視を決め込んだことである。
つまりこの国では、裁判所がなんと言おうが、政府は政府の論理でこれからもやっていきます、と宣言しているようなものである。せめて「今後も国際貢献のあり方について議論を深めていきたい」と口だけでも言えば良いのに「関係ない」と言ってしまうということは、本当に司法に対する配慮がないからだろう。
かつて北陸電力の原発運転差止訴訟で、北陸電力側が負けた時に「裁判所がなんと言おうとあれ(問題の原発)は安全なんです」と発言した関係者がいた。司法の権威を認めないというのは、北陸の田舎電力会社ならではの感覚なのかと思ったが、日本政府の中枢にいる人でさえ、上のような有様である。
高裁の裁判官の判断ですら「関係ありません」と言われているのを見て、裁判員制度を控えた国民はどう思うであろうか。「法律のプロである裁判官の意見ですら、関係ないと無視されるくらいなんだから、私ら素人が地裁で下した判断なんて、どうせすぐ控訴されてひっくり返されるのね」と思うだろう。
加えて、今回のような国を相手にした訴訟では、国×市民団体という構図になりやすく、メディアへの発信能力で圧倒的に勝っている国側(特に内閣総理大臣)が判決直後に「蛇足判決」、「裁判所の言うことは関係ない」、「裁判官は偏向している」と繰り返すことの影響はとても大きい。
こうした問題というのは、イラクでの自衛隊の活動に賛成かどうかに関係なく、敏感であるべきだ。日本はまだまだ法や司法の尊重という意識が希薄で、偏向した市民団体と偏向した裁判官による変な判決という論調がほとんどというおかしさに気づかない政治家とマスコミが支配している国ということである。
by eastriver46
| 2008-04-19 23:33
| 日記