2008年 02月 04日
Justice Breyerに会う |
こちらでこの時期行われている企画としてJurist in Residenceというものがある。これは、January Termと同様に、この時期に著名な実務家にハワイまで来てもらって講演などをお願いするというもの。今年のゲストは連邦控訴裁判所のMyron H. Bright判事と、なんと連邦最高裁判所のJustice Stephen Breyer。
過去には同じく連邦最高裁からScaliaやKennedy、Ginsberg、Stevensが訪問しており、1週間こちらのロースクールで教授陣や学生と交流したり、講義に参加するという、大変恵まれたプログラムである。最高裁判事と会う機会というのはそうそうないので、私も、歓迎の昼食会に参加することにした。
部屋に入ると長身の男性がいて、眼鏡をかけているが写真で見たJustice Breyerによく似ている。ひょっとして、と思っていたら、向こうの方から握手の手を差し伸べて来て「こんにちは、Stephen Breyerです」と言う。向こうから挨拶されるとは思ってもいなかったので、慌ててこちらも丁寧に挨拶した。
日本から来ていますと言うと「ああ、日本からなの?そういや昔Ramseyerさんと一緒に仕事しててね〜、日本の映画とか、彼がコメントしながら一緒に見たよ」という話になった。Ramseyerさんとは、以前このブログに登場した、アメリカにおける日本法の権威、J. Mark Ramseyer、ハーバード大教授。Justice Breyerが控訴裁判事だった時にロー・クラークをしてたそうです。
昼食の合間にはJustice Breyerにいろいろと質問する時間があった。当たり前と言えばあまりにも当たり前なのだが、とても頭がよく、質問に対して「今の質問には3つのポイントがありますね」と、さっと問題を整理して具体的に答えていくところがとてもかっこ良く、ミーハーなファンのように話に聞き入っていた。
話が盛り上がったのは、最高裁の政治性(特にロバーツ・コートの保守性)についてどう考えるか、という質問。Justice Breyerはいろんな話をしたけれども、早い話が「そんな政治性はありません」だった。「僕はこれこれ、こういう家庭で、こういう地域に育って、こういう教育を受けて、これが僕自身。そういう生身の僕自身でぶつかっていくしかないよね」という。
これが僕自身というのは、今までの自分の経験の中で判断していくし、そうするべきである、人はそれを政治的に解釈するかもしれないけども、僕は僕として全力でやるしかない、という意味。外野から、特に外国から観察していると、近年特に顕著な最高裁判事の分裂具合を、政治的に説明したくなるが、本人は「だってこれが僕だもん」と意に介してないようだった
過去には同じく連邦最高裁からScaliaやKennedy、Ginsberg、Stevensが訪問しており、1週間こちらのロースクールで教授陣や学生と交流したり、講義に参加するという、大変恵まれたプログラムである。最高裁判事と会う機会というのはそうそうないので、私も、歓迎の昼食会に参加することにした。
部屋に入ると長身の男性がいて、眼鏡をかけているが写真で見たJustice Breyerによく似ている。ひょっとして、と思っていたら、向こうの方から握手の手を差し伸べて来て「こんにちは、Stephen Breyerです」と言う。向こうから挨拶されるとは思ってもいなかったので、慌ててこちらも丁寧に挨拶した。
日本から来ていますと言うと「ああ、日本からなの?そういや昔Ramseyerさんと一緒に仕事しててね〜、日本の映画とか、彼がコメントしながら一緒に見たよ」という話になった。Ramseyerさんとは、以前このブログに登場した、アメリカにおける日本法の権威、J. Mark Ramseyer、ハーバード大教授。Justice Breyerが控訴裁判事だった時にロー・クラークをしてたそうです。
昼食の合間にはJustice Breyerにいろいろと質問する時間があった。当たり前と言えばあまりにも当たり前なのだが、とても頭がよく、質問に対して「今の質問には3つのポイントがありますね」と、さっと問題を整理して具体的に答えていくところがとてもかっこ良く、ミーハーなファンのように話に聞き入っていた。
話が盛り上がったのは、最高裁の政治性(特にロバーツ・コートの保守性)についてどう考えるか、という質問。Justice Breyerはいろんな話をしたけれども、早い話が「そんな政治性はありません」だった。「僕はこれこれ、こういう家庭で、こういう地域に育って、こういう教育を受けて、これが僕自身。そういう生身の僕自身でぶつかっていくしかないよね」という。
これが僕自身というのは、今までの自分の経験の中で判断していくし、そうするべきである、人はそれを政治的に解釈するかもしれないけども、僕は僕として全力でやるしかない、という意味。外野から、特に外国から観察していると、近年特に顕著な最高裁判事の分裂具合を、政治的に説明したくなるが、本人は「だってこれが僕だもん」と意に介してないようだった
by eastriver46
| 2008-02-04 23:14
| 英米法関係