2007年 12月 30日
自由の国の「自由」とは |
昨日書いたが、自由の国アメリカで、新年を祝う花火に許可証がいるというのは、非常に興味深い。この国では、アルコールを飲むのにも非常に神経を使うし、テレビはことごとく「暴力表現」などの警告表示がある。タバコ規制も積極的だ。自由の問題とはことなるが、セクハラや児童虐待に関する定義が幅広く、管理職の責任や通報義務も認められている。
こう考えると、アメリカは、本来、マナーやモラル、常識で対処されることが法的規制の対象とされる「法化」が進んだ国ということになる。その意味では非常に「不自由」な国である。ただし、法化によって守られる他者の自由(あるいは単に利益)があるかもしれない。ということで、自由を守るために不自由を容認する国ということが言えそうだ。
大学1年の時に、先輩の実家に遊びにいったら、家の中に、母親が買った通信販売の健康器具がどっさりとおいてあって、健康食品なんかも大量に持っている話をきいた。先輩曰く「うちのオカンは、健康のためやったら死ねるねん(笑)」。ボケとツッコミからではない、論理が引き起こす笑いに出会った瞬間である。
この話から、単なる「おもろいオカンの話」を超えた示唆がえられるのは一目瞭然であろう。すなわち、社会的文脈で展開すると、お互いに価値を共有できる何かについては全成員が守り抜くが、それ以外の事柄については、各人で「自由」にやってください、となる。自由の国の「自由」とはこの意味ではなかろうか。
通常、私のような、法学部教員ならば、自由の国の「自由」とは、主として政治的自由のことなんだと理解するのだろうが、ここ数年、政治的な場面(=公)とベタな日常生活(=私)をなだらかな連続体ととらえて愛国心と結びつけたがる人がいるので(だから愛する家族のために命をかけることとお国のためとを短絡できる)、あえて、垂直的関係ではなく、水平的関係から考えてみた次第である。
こう考えると、アメリカは、本来、マナーやモラル、常識で対処されることが法的規制の対象とされる「法化」が進んだ国ということになる。その意味では非常に「不自由」な国である。ただし、法化によって守られる他者の自由(あるいは単に利益)があるかもしれない。ということで、自由を守るために不自由を容認する国ということが言えそうだ。
大学1年の時に、先輩の実家に遊びにいったら、家の中に、母親が買った通信販売の健康器具がどっさりとおいてあって、健康食品なんかも大量に持っている話をきいた。先輩曰く「うちのオカンは、健康のためやったら死ねるねん(笑)」。ボケとツッコミからではない、論理が引き起こす笑いに出会った瞬間である。
この話から、単なる「おもろいオカンの話」を超えた示唆がえられるのは一目瞭然であろう。すなわち、社会的文脈で展開すると、お互いに価値を共有できる何かについては全成員が守り抜くが、それ以外の事柄については、各人で「自由」にやってください、となる。自由の国の「自由」とはこの意味ではなかろうか。
通常、私のような、法学部教員ならば、自由の国の「自由」とは、主として政治的自由のことなんだと理解するのだろうが、ここ数年、政治的な場面(=公)とベタな日常生活(=私)をなだらかな連続体ととらえて愛国心と結びつけたがる人がいるので(だから愛する家族のために命をかけることとお国のためとを短絡できる)、あえて、垂直的関係ではなく、水平的関係から考えてみた次第である。
by eastriver46
| 2007-12-30 19:59
| 英米法関係