2007年 11月 29日
日本法終了 |
レヴィン先生の日本法の講義が終了した。講義で取り上げたテーマは、かなり広範囲に及ぶが、どのテーマも、先生による解説で、日本社会に対する理解が深まるようになっていて、非常に参考になった。今年の学生はちょっとおとなしいらしいが、それでも、日本の学生に比べたら、いろいろと意見が出た方だと思う。
私にとって一番面白かったのは、HaleyとRamseyerの議論。日本人がなぜ訴訟嫌いなのか、いや、そもそも日本人が訴訟嫌いというのは本当か、という議論も含めて、いろんな意見が出てきたが、先生はちゃんと制度的な要因を取り上げながら解説していくので、議論しながら、同時に理解も深まっていくという仕組みである。
非常にざっくりまとめてしまうと、Haleyは日本では「訴訟を起こすこと」は「非」効率的であると主張するのに対し、Ramseyerは訴訟を「起こさないで和解すること」が「効率的である」とする。両者の論理的な帰結は同じであるが、示唆の違いは非常に大きい。前者は「訴訟へのアクセスを整えよ」となるが、後者は「今のままで良いんです」に結びつく。
こうした、いかにも法と経済学者の言いそうな結論に対しては「既存の制度を前提にしたら、訴訟を起こさないことが合理的であるというだけで、制度の評価とは別問題」という反論が成り立つ。大阪弁で「アホに何言うても無駄」という言い回しがあるが、「国相手に裁判したって無駄(=だからあきらめよう)」を、合理的として放置するのは違和感がある。
また、Ramseyerは、この主張をするにあたって、交通事故の紛争処理を取り上げる。交通事故のほとんどは保険屋によって処理されているが、それは日本の裁判所が出すであろう結論の予測可能性が非常に高く、それを頼りに保険屋が和解を仲介しても、訴訟と同様の結論が得られるから、和解の方が合理的選択ということになる。
しかし、民事紛争で保険屋が介在しないものはいくらでも存在するから、Ramseyerの主張は、結局は、予測可能性の高さに依拠せざるを得ない。予測可能性の高さは、法が硬直化していることの裏返しかもしれないが、そのことについての言及はないようだ。レヴィン先生はRamseyer流の理解について「正義はどこへいったの?」とコメントした。
どこへ行ったんでしょう。法と経済学に詳しい人、誰か教えてください。
私にとって一番面白かったのは、HaleyとRamseyerの議論。日本人がなぜ訴訟嫌いなのか、いや、そもそも日本人が訴訟嫌いというのは本当か、という議論も含めて、いろんな意見が出てきたが、先生はちゃんと制度的な要因を取り上げながら解説していくので、議論しながら、同時に理解も深まっていくという仕組みである。
非常にざっくりまとめてしまうと、Haleyは日本では「訴訟を起こすこと」は「非」効率的であると主張するのに対し、Ramseyerは訴訟を「起こさないで和解すること」が「効率的である」とする。両者の論理的な帰結は同じであるが、示唆の違いは非常に大きい。前者は「訴訟へのアクセスを整えよ」となるが、後者は「今のままで良いんです」に結びつく。
こうした、いかにも法と経済学者の言いそうな結論に対しては「既存の制度を前提にしたら、訴訟を起こさないことが合理的であるというだけで、制度の評価とは別問題」という反論が成り立つ。大阪弁で「アホに何言うても無駄」という言い回しがあるが、「国相手に裁判したって無駄(=だからあきらめよう)」を、合理的として放置するのは違和感がある。
また、Ramseyerは、この主張をするにあたって、交通事故の紛争処理を取り上げる。交通事故のほとんどは保険屋によって処理されているが、それは日本の裁判所が出すであろう結論の予測可能性が非常に高く、それを頼りに保険屋が和解を仲介しても、訴訟と同様の結論が得られるから、和解の方が合理的選択ということになる。
しかし、民事紛争で保険屋が介在しないものはいくらでも存在するから、Ramseyerの主張は、結局は、予測可能性の高さに依拠せざるを得ない。予測可能性の高さは、法が硬直化していることの裏返しかもしれないが、そのことについての言及はないようだ。レヴィン先生はRamseyer流の理解について「正義はどこへいったの?」とコメントした。
どこへ行ったんでしょう。法と経済学に詳しい人、誰か教えてください。
by eastriver46
| 2007-11-29 23:50
| 英米法関係