2006年 06月 18日
新司法試験の問題 |
友人の弁護士、壇俊光先生のホームページを見てみると、先日行われた新司法試験について書かれていた。そこからリンクされている問題で、とりあえず公法系の論文試験くらい見てみるか、とクリックしてみて驚いた。たばこに関する第1問は、私が担当した2004年度の法学概論で取り上げていたのである。
講義では、規制緩和が進む中でたばこ規制は強化されている点、たばこ広告の規制や危険性表示、ニコチン中毒と自己責任問題など、たばこに関する問題が、他の分野と異なる点に注目した。たばこという非常に身近な製品に潜んでいる問題をあぶり出して、法的にはどのように記述できるかがテーマであった。
期末試験では「あなたは角間法律事務所に勤める弁護士である。あなたの依頼人は…」として出題し、1:依頼人に有利な主張を展開せよ、2:それに対する反論をせよ、3:両方をふまえた上であなたの結論を書け、という形式を、ここ数年ずっと行っているが、この形式も同じであった。
たばこに関する問題を法学概論でもゼミでも取り上げているのは、具体的な問題点から出発して、その問題を法的に記述し直すことを、学部教育での最重要課題と考えているからである。学習塾の講師時代にも経験したことであるが、暗記重視の教育を批判した結果として、新学力観が採用されると、具体的な資料を通して、論述で答えさせることが多くなる。当然、必要とされる知識の量は増加し、それに加えて文章力も必要になる。
2004年、日本中に法科大学院ができた年に法学概論を担当することになった私は、塾講師時代の経験から、具体的な問題から出発して法的問題を説明し、試験では両方の見解をバランス良く書けるようにすることが重要と考え、初年度、たばこを素材として講義を展開した。その講義は比較的好評を得たものの、一部の学生からは、問題が具体的すぎて法律学の勉強という気がしない、もっと六法を使いたい、解説ばかりでなく結論をはっきりさせて欲しいと酷評された。
六法を使いたい、多数説・少数説をはっきりさせて欲しい、結論を言え、というのは今でも時々寄せられる批判である。私は、六法を読んだら答えが載っているという発想自体が誤りであると応答し、今年も具体的な問題から出発して「この問題は法学部では2年生で習う○○という論点で…」というスタイルを採用しているが、今年の新司法試験の出題は、まさに我が意を得たり、というところである。
英米法では、具体的な問題を解決するために裁判があり、その結論が法原則となっていくので、担当の外国法ゼミでも、基本的なスタイルは法学概論と変わらない。前回の投稿で、外国法ゼミは各種司法試験の準備には向いていないと書いたが、司法試験から一番遠いはずの外国法ゼミの勉強パターンが、実は新司法試験には近いのかもしれない。
もちろん学部生相手で、全員が法曹を目指している訳でもない講義やゼミでは、その内容が、出題委員が意図したレベルからはほど遠いのは間違いなく、ポイントとなる論点を網羅しているわけでもないだろう。いざとなれば、十分な講義ができるように、これを機に、講義の内容や技術のレベルをあげられるようがんばろうと思う。
講義では、規制緩和が進む中でたばこ規制は強化されている点、たばこ広告の規制や危険性表示、ニコチン中毒と自己責任問題など、たばこに関する問題が、他の分野と異なる点に注目した。たばこという非常に身近な製品に潜んでいる問題をあぶり出して、法的にはどのように記述できるかがテーマであった。
期末試験では「あなたは角間法律事務所に勤める弁護士である。あなたの依頼人は…」として出題し、1:依頼人に有利な主張を展開せよ、2:それに対する反論をせよ、3:両方をふまえた上であなたの結論を書け、という形式を、ここ数年ずっと行っているが、この形式も同じであった。
たばこに関する問題を法学概論でもゼミでも取り上げているのは、具体的な問題点から出発して、その問題を法的に記述し直すことを、学部教育での最重要課題と考えているからである。学習塾の講師時代にも経験したことであるが、暗記重視の教育を批判した結果として、新学力観が採用されると、具体的な資料を通して、論述で答えさせることが多くなる。当然、必要とされる知識の量は増加し、それに加えて文章力も必要になる。
2004年、日本中に法科大学院ができた年に法学概論を担当することになった私は、塾講師時代の経験から、具体的な問題から出発して法的問題を説明し、試験では両方の見解をバランス良く書けるようにすることが重要と考え、初年度、たばこを素材として講義を展開した。その講義は比較的好評を得たものの、一部の学生からは、問題が具体的すぎて法律学の勉強という気がしない、もっと六法を使いたい、解説ばかりでなく結論をはっきりさせて欲しいと酷評された。
六法を使いたい、多数説・少数説をはっきりさせて欲しい、結論を言え、というのは今でも時々寄せられる批判である。私は、六法を読んだら答えが載っているという発想自体が誤りであると応答し、今年も具体的な問題から出発して「この問題は法学部では2年生で習う○○という論点で…」というスタイルを採用しているが、今年の新司法試験の出題は、まさに我が意を得たり、というところである。
英米法では、具体的な問題を解決するために裁判があり、その結論が法原則となっていくので、担当の外国法ゼミでも、基本的なスタイルは法学概論と変わらない。前回の投稿で、外国法ゼミは各種司法試験の準備には向いていないと書いたが、司法試験から一番遠いはずの外国法ゼミの勉強パターンが、実は新司法試験には近いのかもしれない。
もちろん学部生相手で、全員が法曹を目指している訳でもない講義やゼミでは、その内容が、出題委員が意図したレベルからはほど遠いのは間違いなく、ポイントとなる論点を網羅しているわけでもないだろう。いざとなれば、十分な講義ができるように、これを機に、講義の内容や技術のレベルをあげられるようがんばろうと思う。
by eastriver46
| 2006-06-18 00:15
| 英米法関係