2010年 04月 14日
町工場芸人を見て思い出したこと |
深夜の人気バラエティ番組アメトークがゴールデン特番でやっていたのをやっと見た。定番の家電芸人や、人見知り芸人に加えて、町工場芸人が特番に進出していて、とても面白かった。レギュラー放送の時も思ったのだが、どんな町工場にもいろんなドラマがあるんだなあと、とても楽しく見た。
私の学生時代のバイトはメインが塾講師で、このバイトでそこそこ生活できるくらいはもらっていたのだが、塾講師の前に2回工場で働いたことがある。1つは八尾にある和菓子屋さんで、ひたすら柏餅を作る仕事。もう1つは中津(阪急梅田の次の駅)にある町工場で電気部品を作っていた。
その工場は、甲南大学落語研究会のOBが勤めており、落研のメンバーは頼めばバイトさせてもらえるのである。1年の夏休みの間働きまくれば30万くらいになると言うので、落研の先輩とともに働いたのである。町工場芸人が着ていたようなグレーの作業着を着て正社員のおっちゃんらに混じって作業をした。
今となっては名前を忘れてしまったが、凸型の薄い鉄板を何枚も重ねて、ちょうど糸巻きの芯のようなものにはめていき、照明に組み入れられる部品を作るのである。たしか完成品は横浜スタジアムの照明用と、どこかの高速道路のトンネルの照明用として出荷されると聞いた。
我々は学生ということもあって、正社員のおっちゃんと密な付き合いがあるわけでもなく、8時半から5時半まで働いて(途中昼休みと休憩が1回あった)、ばてて帰るだけの日々。当時は実家から通っていたので、お金を使うこともなく、夏休みが終わる頃には確かに30万ほどたまっていた。
夏の暑い工場で単調な作業を繰り返す、結構厳しい仕事だった。一方で、当時大学1年の19歳で、まだまだ「甘っちょろい」価値観しか持ち合わせてなかった私は、工場労働というと低賃金でこき使われる仕事であり、彼らは社会的弱者だというイメージを一方的に持っていたのだが、秋にはこの考え方を若干修正することになった。
というのも、工場で働く場合、基本的に毎日規則正しい生活パターンであり、毎日同じ時間に家に帰れるのである。これは、サービス残業や休日の接待ゴルフが当たり前になっているホワイトカラーのサラリーマンが、仕事と日常の境目を失っていることに比べれば、魅力的な生活という見方もできる。
もちろん中小の工場だと景気の影響をもろに受けやすいとか、場合によっては給料が相当低く抑えられていて「魅力的なんてとんでもない」という反論もあるだろうが、少なくとも、太陽が東から昇るのと同じ確信を持ってブルーカラーは悲惨と言うことはできないのではないか、と疑念がわいた。
当時はやっていたドラマなどでは「良い学校→良い会社→良い人生」という方程式を否定することが「正しい」ことのように唱えられていた(普通はつまらない!)が、それもまた極論で、要するに、ある種の生き方や価値観が、その人に合っているかどうかという問題なのではないか。
この考えは、翌年、平松愛里の「部屋とYシャツと私」の歌詞が物議を醸したとき、さらに強まった。「部屋とYシャツと私を愛するあなたのために毎日磨く」ことが大切だと考える女性に対して「あなたの価値観は間違っている」と説教することは、まさに「間違っている」のではないか。
その後私は「より多くの価値観を包摂できる社会(水平的な社会)の方が、○○(例えば国家)を奉じよと命じる社会(垂直的な社会)より優れている」と思うようになり、それは最終的に、猥褻と名誉毀損以外は何でも許容するアメリカ的な表現の自由への関心につながるのだが、それはもう少し先の話である。
それでも、ある種の人々に広く信じられていることが、自分の目で確かめてみたところ、そうでもないらしい、ということがわかって、この工場でのバイトは、給料がたまって夏休み後半遊び倒す軍資金になった以上に、非常に良い経験になった。アルバイトが社会勉強というのは、まさにこの意味においてである。
というわけで、このブログを読んでいる学生の皆さんは、ぜひこの夏に面白いバイトを経験してきて下さい。
私の学生時代のバイトはメインが塾講師で、このバイトでそこそこ生活できるくらいはもらっていたのだが、塾講師の前に2回工場で働いたことがある。1つは八尾にある和菓子屋さんで、ひたすら柏餅を作る仕事。もう1つは中津(阪急梅田の次の駅)にある町工場で電気部品を作っていた。
その工場は、甲南大学落語研究会のOBが勤めており、落研のメンバーは頼めばバイトさせてもらえるのである。1年の夏休みの間働きまくれば30万くらいになると言うので、落研の先輩とともに働いたのである。町工場芸人が着ていたようなグレーの作業着を着て正社員のおっちゃんらに混じって作業をした。
今となっては名前を忘れてしまったが、凸型の薄い鉄板を何枚も重ねて、ちょうど糸巻きの芯のようなものにはめていき、照明に組み入れられる部品を作るのである。たしか完成品は横浜スタジアムの照明用と、どこかの高速道路のトンネルの照明用として出荷されると聞いた。
我々は学生ということもあって、正社員のおっちゃんと密な付き合いがあるわけでもなく、8時半から5時半まで働いて(途中昼休みと休憩が1回あった)、ばてて帰るだけの日々。当時は実家から通っていたので、お金を使うこともなく、夏休みが終わる頃には確かに30万ほどたまっていた。
夏の暑い工場で単調な作業を繰り返す、結構厳しい仕事だった。一方で、当時大学1年の19歳で、まだまだ「甘っちょろい」価値観しか持ち合わせてなかった私は、工場労働というと低賃金でこき使われる仕事であり、彼らは社会的弱者だというイメージを一方的に持っていたのだが、秋にはこの考え方を若干修正することになった。
というのも、工場で働く場合、基本的に毎日規則正しい生活パターンであり、毎日同じ時間に家に帰れるのである。これは、サービス残業や休日の接待ゴルフが当たり前になっているホワイトカラーのサラリーマンが、仕事と日常の境目を失っていることに比べれば、魅力的な生活という見方もできる。
もちろん中小の工場だと景気の影響をもろに受けやすいとか、場合によっては給料が相当低く抑えられていて「魅力的なんてとんでもない」という反論もあるだろうが、少なくとも、太陽が東から昇るのと同じ確信を持ってブルーカラーは悲惨と言うことはできないのではないか、と疑念がわいた。
当時はやっていたドラマなどでは「良い学校→良い会社→良い人生」という方程式を否定することが「正しい」ことのように唱えられていた(普通はつまらない!)が、それもまた極論で、要するに、ある種の生き方や価値観が、その人に合っているかどうかという問題なのではないか。
この考えは、翌年、平松愛里の「部屋とYシャツと私」の歌詞が物議を醸したとき、さらに強まった。「部屋とYシャツと私を愛するあなたのために毎日磨く」ことが大切だと考える女性に対して「あなたの価値観は間違っている」と説教することは、まさに「間違っている」のではないか。
その後私は「より多くの価値観を包摂できる社会(水平的な社会)の方が、○○(例えば国家)を奉じよと命じる社会(垂直的な社会)より優れている」と思うようになり、それは最終的に、猥褻と名誉毀損以外は何でも許容するアメリカ的な表現の自由への関心につながるのだが、それはもう少し先の話である。
それでも、ある種の人々に広く信じられていることが、自分の目で確かめてみたところ、そうでもないらしい、ということがわかって、この工場でのバイトは、給料がたまって夏休み後半遊び倒す軍資金になった以上に、非常に良い経験になった。アルバイトが社会勉強というのは、まさにこの意味においてである。
というわけで、このブログを読んでいる学生の皆さんは、ぜひこの夏に面白いバイトを経験してきて下さい。
by eastriver46
| 2010-04-14 23:56
| 日記