2008年 05月 06日
厄払いで考えたこと |
厄年を迎えるのに外国に住んでいるため厄神さんにいけない身内がいるので、ゴールデンウイークを利用して、兵庫県西宮市の門戸厄神まで代参してきた。ご祈祷を申し込むと、その時間に申し込んだ約10組くらいと同時にご祈祷してもらうことになった。
ご祈祷が始まると、申し込んだ人の氏名と住所とお参りの理由(厄除開運、商売繁盛、子どものお宮参り)が、例の独特の口調で述べられる。個人情報保護はどうなってるんだろう。大方の人は大阪、兵庫から。外国の住所は私の身内だけ。しかもカタカナの住所をあの口調でしゃべるので、少し可笑しかった。
一通り儀式が終わると、全員の名前を再び読み上げ、さらに祈願する内容を言っていくのだが、「厄除開運、商売繁盛、家内安全、病気平癒、学業成就、旅行安全、交通安全・・・」と、内容があまりにも多岐にわたっていて驚いた。20個くらいあったのではないだろうか。
素人感覚では、あまりお願いごとが多すぎると「ええ加減にせい!」と神様に怒られる気がするのだが、まあ、本職のお坊さんがちゃんとやっているのだから大丈夫、ということで信頼しようと思う。
ちなみに「ええ加減にせい!」と怒られるんじゃないかとか、日頃から善行を積んでお願いごとも控えめにしていれば神様が「よしよし」と言ってくれるのではないか、というのはいかにも日本的。現世とあの世の間に因果関係があるという考え方である。
キリスト教では、誰が救済されるか(あの世で永遠の命を与えられるか)は、既に神様の一存で勝手に決められている(=予定説)。そこで人々は「私が一生懸命仕事に打ち込み、神様を真剣に愛しているのは、神様が私を救済しようと決めているからに違いない」と考えた。
この、仕事をまじめにやって(=職業召命説)神様以外愛さない態度(=現世内禁欲)の合わせ技が、資本主義の原動力になったことは、社会科学の世界では常識に属することであるが、もう一歩踏み出して、日本人のマナーや振る舞いの問題に拡大できそうだ。
キリスト教文化圏では、上のように、内面の「信仰の確かさ」が個人を律することに加えて、経典の命令と自分との距離で「確かさ」をはかれるが、日本だと「善行」の基準は共同体的規範。これは「赤信号みんなで渡れば」と表裏一体なので、共同体を離れればすぐさま「旅の恥はかき捨て」になる。
まあ専門の社会学者などが読めば、赤字でぼろぼろに添削されるような、ざっくりとした考え方であるが、比較法研究は、社会を丸ごと論じるようなダイナミックなものでなければだめだと思うので(もちろん「言うは易し、行うは難しどころかほとんど無理だけど)、ついつい考えてみた次第である。
ご祈祷が始まると、申し込んだ人の氏名と住所とお参りの理由(厄除開運、商売繁盛、子どものお宮参り)が、例の独特の口調で述べられる。個人情報保護はどうなってるんだろう。大方の人は大阪、兵庫から。外国の住所は私の身内だけ。しかもカタカナの住所をあの口調でしゃべるので、少し可笑しかった。
一通り儀式が終わると、全員の名前を再び読み上げ、さらに祈願する内容を言っていくのだが、「厄除開運、商売繁盛、家内安全、病気平癒、学業成就、旅行安全、交通安全・・・」と、内容があまりにも多岐にわたっていて驚いた。20個くらいあったのではないだろうか。
素人感覚では、あまりお願いごとが多すぎると「ええ加減にせい!」と神様に怒られる気がするのだが、まあ、本職のお坊さんがちゃんとやっているのだから大丈夫、ということで信頼しようと思う。
ちなみに「ええ加減にせい!」と怒られるんじゃないかとか、日頃から善行を積んでお願いごとも控えめにしていれば神様が「よしよし」と言ってくれるのではないか、というのはいかにも日本的。現世とあの世の間に因果関係があるという考え方である。
キリスト教では、誰が救済されるか(あの世で永遠の命を与えられるか)は、既に神様の一存で勝手に決められている(=予定説)。そこで人々は「私が一生懸命仕事に打ち込み、神様を真剣に愛しているのは、神様が私を救済しようと決めているからに違いない」と考えた。
この、仕事をまじめにやって(=職業召命説)神様以外愛さない態度(=現世内禁欲)の合わせ技が、資本主義の原動力になったことは、社会科学の世界では常識に属することであるが、もう一歩踏み出して、日本人のマナーや振る舞いの問題に拡大できそうだ。
キリスト教文化圏では、上のように、内面の「信仰の確かさ」が個人を律することに加えて、経典の命令と自分との距離で「確かさ」をはかれるが、日本だと「善行」の基準は共同体的規範。これは「赤信号みんなで渡れば」と表裏一体なので、共同体を離れればすぐさま「旅の恥はかき捨て」になる。
まあ専門の社会学者などが読めば、赤字でぼろぼろに添削されるような、ざっくりとした考え方であるが、比較法研究は、社会を丸ごと論じるようなダイナミックなものでなければだめだと思うので(もちろん「言うは易し、行うは難しどころかほとんど無理だけど)、ついつい考えてみた次第である。
by eastriver46
| 2008-05-06 00:36
| 日記