2008年 02月 07日
Doe v. Kamehamehaシンポジウム |
ハワイ先住民の不利な立場を改善するために、先住民の子孫であることを入学要件としている私立学校Kamehameha Schoolの制度は許されない人種差別か。この問題は連邦裁判所で争われ、第9巡回区控訴裁判所で、連邦法に違反しないという結論が出て、最高裁に係属中に和解したので、現在も同校の入学制度は続けられている。
なぜこの制度が法律上許されるかについては、いろんな理屈の付け方があり、もちろん、許されないという主張も考えられる。詳細はアメリカ法に掲載予定の判例評釈を見ていただきたいが、非常に判断の難しい問題である。
この訴訟について考えるシンポジウムがロースクールで開催された。はじめ、Kamehameha Schoolが巻き込まれた訴訟についてのシンポをハワイ大学ロースクールでやるというのだから、Kamehameha School万歳という、方向性の決まりきったものだろうと思っていた(ロースクールの教授が意見書を提出しているし、ハワイはおおむね学校支持)。
しかし、詳細を見てみると、訴訟の両当事者の代理人が出席し、さらに現在ロースクールに滞在中のJustice Breyerもコメントするという本格的なものだった。当日は学内の模擬法廷の教室で一般市民も見守るというかなり大がかりなもので、当日の様子はテレビで放送されるほか、Hawaii Law Reviewにも掲載されるとのこと。
シンポは、まず両当事者の代理人が短いコメントを述べるのだが、学校側からは、アメリカ憲法のテキストでおなじみ、Kathreen Sullivan教授が出席。コメントは、学校側も原告側も、それぞれ、8対7に割れた第9巡回区の全員法定の多数意見と少数意見を要約したようなものだった。
Sullivan教授のコメントは、ハワイ先住民をdiscrete and insular minoritiesと位置づけている点が注目に値する。(主として政治システムから)切り離され孤立した少数者でも、社会に参画できるチャンネルは開かれていなければならないという、司法審査の場面ではおなじみの議論である。
Justice Breyerは、かつて正しかったことが今では正しくないこともあるように、ものの見方は流動的で複雑で多面的だ、という可もなく不可もないコメント。当事者間で和解されなければ自分が判断しなければならなかったかもしれない問題だけに、正面からコメントはしなかった。
全員のコメントが終わった後、休憩を挟んで質疑応答となっており、ここが一番盛り上がるところと思われたが、私は別の裁判官とランチの約束が入っていたので、残念ながら参加できなかった。後で活字になってからフォローしようと思う。
それにしても、原告側代理人にとっては、まさに敵地に乗り込んでの弁論で、出席するだけでも、大変勇気がいったことだろうと思う。個人的には、学校側の善意は十分理解できるものの、原告側の主張の方が、オーソドックスに手堅くまとめられていて、説得力があるように思う。質疑応答で、ボロカスに批判されたりしていなければよいのだが。
なぜこの制度が法律上許されるかについては、いろんな理屈の付け方があり、もちろん、許されないという主張も考えられる。詳細はアメリカ法に掲載予定の判例評釈を見ていただきたいが、非常に判断の難しい問題である。
この訴訟について考えるシンポジウムがロースクールで開催された。はじめ、Kamehameha Schoolが巻き込まれた訴訟についてのシンポをハワイ大学ロースクールでやるというのだから、Kamehameha School万歳という、方向性の決まりきったものだろうと思っていた(ロースクールの教授が意見書を提出しているし、ハワイはおおむね学校支持)。
しかし、詳細を見てみると、訴訟の両当事者の代理人が出席し、さらに現在ロースクールに滞在中のJustice Breyerもコメントするという本格的なものだった。当日は学内の模擬法廷の教室で一般市民も見守るというかなり大がかりなもので、当日の様子はテレビで放送されるほか、Hawaii Law Reviewにも掲載されるとのこと。
シンポは、まず両当事者の代理人が短いコメントを述べるのだが、学校側からは、アメリカ憲法のテキストでおなじみ、Kathreen Sullivan教授が出席。コメントは、学校側も原告側も、それぞれ、8対7に割れた第9巡回区の全員法定の多数意見と少数意見を要約したようなものだった。
Sullivan教授のコメントは、ハワイ先住民をdiscrete and insular minoritiesと位置づけている点が注目に値する。(主として政治システムから)切り離され孤立した少数者でも、社会に参画できるチャンネルは開かれていなければならないという、司法審査の場面ではおなじみの議論である。
Justice Breyerは、かつて正しかったことが今では正しくないこともあるように、ものの見方は流動的で複雑で多面的だ、という可もなく不可もないコメント。当事者間で和解されなければ自分が判断しなければならなかったかもしれない問題だけに、正面からコメントはしなかった。
全員のコメントが終わった後、休憩を挟んで質疑応答となっており、ここが一番盛り上がるところと思われたが、私は別の裁判官とランチの約束が入っていたので、残念ながら参加できなかった。後で活字になってからフォローしようと思う。
それにしても、原告側代理人にとっては、まさに敵地に乗り込んでの弁論で、出席するだけでも、大変勇気がいったことだろうと思う。個人的には、学校側の善意は十分理解できるものの、原告側の主張の方が、オーソドックスに手堅くまとめられていて、説得力があるように思う。質疑応答で、ボロカスに批判されたりしていなければよいのだが。
by eastriver46
| 2008-02-07 23:56
| 英米法関係