2007年 10月 17日
メディエーションの講義に出る |
今週はバーキ先生が海外出張なので、JAIMSの講義は休み。その時間をあけたままにしておくのはもったいないのと、他の先生の講義も見てみようということで、大学内のProgram on Conflict Resolution (PCR)というところを紹介してもらい、またバーンズ先生(Prof. Bruce Barnes)のMediation(調停)の講義に出ることにした。
PCRは、ハワイ大学内での諸問題を調停する機関でもある。例えば、学生と教授、学生と学生、教授と教職員の間で発生した紛争について、訓練を積んだ調停者が関与して、問題解決にあたる。日本の大学では、各種ハラスメント委員会が行う仕事であるが、より専門的な形で行われている点に特徴がある。
PCRの事務所には資料室が併設されているので、ディレクターのキャレンさんに案内してもらって、資料をいろいろと見て回った。今回の私に課せられた調査は、ネゴシエーションの教授法の調査なので、その辺りをいろいろと調べたが、短時間では無理があるので、これはまた、今後もキャレンさんと打ち合わせながら継続することにした。
夜は、Prof. Barnesのメディエーションの講義。メディエーション(調停)は、第3者が紛争当事者の話を聞き、相互理解や歩み寄りを促進することで和解させるもので、調停案を受け入れるかどうかは自由。この点、示された結論に当事者が拘束される仲裁と異なる。ごく簡単に言えば、メディエーションが目的なら、ネゴシエーション(交渉)はその手段ということになる。
講義は、架空の紛争をシナリオに書いて、学生に、紛争当事者A、Bをやらせる。調停者A、B役の学生は、紛争当事者から紛争内容を聞いて、調停するという、ロールプレイング方式。これに約1時間を費やした。3つのグループができていたが、結局、どこも調停にはいたらず。ロールプレイングなので、別にそれでかまわない、とのこと。
こちらの講義は、バーキ先生にしてもバーンズ先生にしても、学生に実際に行わせることに重点を置いていて、講義というよりも実習とまとめ、に近い感じだ。ネゴシエーションにしてもメディエーションにしても、知識として知っているのではなく、体験として身につけている必要があるのである種当然のことであった。
PCRは、ハワイ大学内での諸問題を調停する機関でもある。例えば、学生と教授、学生と学生、教授と教職員の間で発生した紛争について、訓練を積んだ調停者が関与して、問題解決にあたる。日本の大学では、各種ハラスメント委員会が行う仕事であるが、より専門的な形で行われている点に特徴がある。
PCRの事務所には資料室が併設されているので、ディレクターのキャレンさんに案内してもらって、資料をいろいろと見て回った。今回の私に課せられた調査は、ネゴシエーションの教授法の調査なので、その辺りをいろいろと調べたが、短時間では無理があるので、これはまた、今後もキャレンさんと打ち合わせながら継続することにした。
夜は、Prof. Barnesのメディエーションの講義。メディエーション(調停)は、第3者が紛争当事者の話を聞き、相互理解や歩み寄りを促進することで和解させるもので、調停案を受け入れるかどうかは自由。この点、示された結論に当事者が拘束される仲裁と異なる。ごく簡単に言えば、メディエーションが目的なら、ネゴシエーション(交渉)はその手段ということになる。
講義は、架空の紛争をシナリオに書いて、学生に、紛争当事者A、Bをやらせる。調停者A、B役の学生は、紛争当事者から紛争内容を聞いて、調停するという、ロールプレイング方式。これに約1時間を費やした。3つのグループができていたが、結局、どこも調停にはいたらず。ロールプレイングなので、別にそれでかまわない、とのこと。
こちらの講義は、バーキ先生にしてもバーンズ先生にしても、学生に実際に行わせることに重点を置いていて、講義というよりも実習とまとめ、に近い感じだ。ネゴシエーションにしてもメディエーションにしても、知識として知っているのではなく、体験として身につけている必要があるのである種当然のことであった。
by eastriver46
| 2007-10-17 23:51
| 英米法関係