2005年 04月 20日
学生と議論する |
3人の学生と話す機会がありました。始めに、自分は日本で教官をしていると自己紹介をしました。今は暴力的なゲームの規制について研究していると説明すると、「面白いテーマですね、あなたはどのような意見ですか?」ときいてくる。多くのアメリカ人は、この手の規制には消極的なので、ここではあえて規制容認派の振りをしてみた。
1人目の学生は2年生の男性で、規制について、規制は必要だが、親の責任を企業に押し付けるだけにならないか、親の責任、企業の責任、行政の責任のバランスをどうとるかが重要になると答えた。
2人目と3人目は2年生の女性と3年生の男性。女性の方はジョディ・フォスターに似ていた。まあそれはどうでもいい。3年の男性は、
1:表現の自由は最大限尊重されるべき
2:規制によって州はどのような利益を増進できるのか不明確、故に違憲、と批判。
それに対して私は
ア:最高裁判例は表現の自由に関していくつか重要な例外を認めている
イ:犯罪の防止、特に青少年の健全な育成は州の利益になる、と反論。
しかし彼はさらに
3:ゲームをすることと暴力・犯罪との因果関係がない、
4:犯罪の防止は銃規制や教育の充実によって行うべき、と再反論。
それに対して私は
ウ;ある種の相関関係は認められつつある(ただしかなり議論あり)
エ:教育と規制は両立する(覚せい剤の規制と青少年への啓蒙ポスター)と再々反論。
この議論の間、ジョディ・フォスターは別のロースクールの教授とともに真剣に我々の議論を聞いてうなずいたり考え込んだりしていました。私は「君が親だとして、自分の子供が、問題のあるゲームの筋書きとやり口をそっくりまねした若者に殺された場合でも規制は必要ないと言えるか(実際そのような事件あり)」と反則技の質問をしたら、彼は「規制は反対だ、しかしあなたの関心は理解できる」と言ってその場は終わりました。
感想は2つ。
教官であると自己紹介しているのに、公然と私の見解に対して異議を申し立てた3年生に感心(もっとも彼は、日本からやって来たへぼ研究者なぞとるに足らん、と思っていたのかも)。金沢大学で、このように学生から異論を主張されたことがない。教官の主張や解説は「答え合わせ」ではないので、異論があれば主張すべき(ただし質問しまくって講義を引っ掻き回せと言っているのではないので念のため)。
もう1つは、今回の出来事だけでは判断できないが、2年生よりも3年生の方が、勉強、あるいは経験の後が窺えたこと。特に規制による州の利益と、利益と手段の適合性に注目する、違憲審査の伝統的な考え方を十分にふまえて、上滑りでない議論を展開しているように感じられた。このような感想を持つことができただけでも留学した値打ちがあったというものである。
1人目の学生は2年生の男性で、規制について、規制は必要だが、親の責任を企業に押し付けるだけにならないか、親の責任、企業の責任、行政の責任のバランスをどうとるかが重要になると答えた。
2人目と3人目は2年生の女性と3年生の男性。女性の方はジョディ・フォスターに似ていた。まあそれはどうでもいい。3年の男性は、
1:表現の自由は最大限尊重されるべき
2:規制によって州はどのような利益を増進できるのか不明確、故に違憲、と批判。
それに対して私は
ア:最高裁判例は表現の自由に関していくつか重要な例外を認めている
イ:犯罪の防止、特に青少年の健全な育成は州の利益になる、と反論。
しかし彼はさらに
3:ゲームをすることと暴力・犯罪との因果関係がない、
4:犯罪の防止は銃規制や教育の充実によって行うべき、と再反論。
それに対して私は
ウ;ある種の相関関係は認められつつある(ただしかなり議論あり)
エ:教育と規制は両立する(覚せい剤の規制と青少年への啓蒙ポスター)と再々反論。
この議論の間、ジョディ・フォスターは別のロースクールの教授とともに真剣に我々の議論を聞いてうなずいたり考え込んだりしていました。私は「君が親だとして、自分の子供が、問題のあるゲームの筋書きとやり口をそっくりまねした若者に殺された場合でも規制は必要ないと言えるか(実際そのような事件あり)」と反則技の質問をしたら、彼は「規制は反対だ、しかしあなたの関心は理解できる」と言ってその場は終わりました。
感想は2つ。
教官であると自己紹介しているのに、公然と私の見解に対して異議を申し立てた3年生に感心(もっとも彼は、日本からやって来たへぼ研究者なぞとるに足らん、と思っていたのかも)。金沢大学で、このように学生から異論を主張されたことがない。教官の主張や解説は「答え合わせ」ではないので、異論があれば主張すべき(ただし質問しまくって講義を引っ掻き回せと言っているのではないので念のため)。
もう1つは、今回の出来事だけでは判断できないが、2年生よりも3年生の方が、勉強、あるいは経験の後が窺えたこと。特に規制による州の利益と、利益と手段の適合性に注目する、違憲審査の伝統的な考え方を十分にふまえて、上滑りでない議論を展開しているように感じられた。このような感想を持つことができただけでも留学した値打ちがあったというものである。
by eastriver46
| 2005-04-20 22:59
| 英米法関係