2009年 05月 27日
丸田隆先生還暦祝いの会 |
甲南大学でゼミに所属して以来、ずっとお世話になっている丸田隆先生(現在、関西学院大学法科大学院教授)が、今年還暦を迎えられるということで、先日、私の学年の前後数世代のゼミ生が集まって、簡単なお祝いの会を開いた。
思い返すと、学部の1回生の時に意気込んで教室に行ったら、どの教授も、詰まらなさそうに講義を黙々と消化しているだけだったので、「こんな詰まらん講義を90分も聞いていたら俺はアホになってしまう」と、早速サークルの部室に入り浸り、専門の勉強はなにもせず「ツモの時はピンフなし」とか麻雀のルールばかり覚えていったものだった。
2回生になって、法社会学という六法に載ってない怪しげな名前の講義に行くと、やたらテンションの高いオジサンが、教科書もなしに喋り倒していた。そして、六法に書かれていても、別の事情が働いて実現されていないことがある、六法に全て答えが載っていると思ったら大間違い、ということを熱心に説明していた。
法学とは六法を暗記することと思っていた私には、このオジサンの講義は大きな衝撃であった。さらにこのオジサンは、喋っている学生に対して「詰まらん講義に我慢して出席するよりも有意義な時間の過ごし方があるのなら、自分で考えてそっちを取りなさい」と言い放った。有意義な欠席という考え方がとても新鮮だった。
3回生でゼミの選択をするにあたって、すでにこのオジサン=丸田先生に大分影響されていた私は、「六法とか判例集とか、紙の上に書いてあることは、気が向いたら自分で勉強すりゃ良いのであって、大学では六法系以外のゼミにしよう」ということで、丸田ゼミに入ることにした。
この丸田ゼミの指導方針は、1:一般論はどうでも良いので、あなたの意見を言いなさい、2:少数意見でも胸をはって言いなさい、だったので、まさに当時(そして今も)強く影響を受けていたヘヴィメタルの精神性と合致していて、ゼミは非常に居心地が良かった。みんなで、ああでもない、こうでもないと議論し続けた。
今でもよく覚えているのは、時事通信社事件について議論している際に、私が通信社側を擁護した時である。丸田先生は、普段あまり結論めいたことを言わないが、この時は私と意見が対立して、しばらくゼミの教室内で2人だけの議論になった。今になって考えると穴のある主張だったかもしれないが、先生は私に自由に喋らせてくれた。
大学の研究者になろうかと手紙で相談した時も(当時先生はミシガン大学で客員教授をされていた)、返信で、客観的な情勢について説明した後に「決めるのはあなたです、決めたら直ちに取りかかる必要があります。Good Luck!」と書かれていたのを読んで、最終的に大学院進学の覚悟を決めた。自己決定の尊重が丸田流なのである。
ちなみに、大学院進学を決めてからは、上に書いた「紙の上に書いてあることは後で覚えりゃいい」と、コツコツやる勉強を甘く見ていた私にとって、試練の時期だった。勉強の絶対量が不足しているのだから、ある意味当然のことだった。まあ今となっては良い思い出である。
神戸大学大学院に進学してから先生にお会いする機会は大分減ったが、2001年から金沢大学で教える身分になって、先生と同業者になって、今でもいろいろとお世話になっている。最近は弁護士として活動され、また裁判員制度についても積極的に発言され、ますますお元気だ。
お祝いの会では、昔、ゼミ合宿で野球をした話もでた。ゼミにはスポーツ委員という委員がいて、スポーツイベントを企画し、時々先生も交えて野球をするのである。「丸田の小便カーブ」と対決して空振りしたことが懐かしく思い出される。今でも大学で時々バットを振っているそうである。
先生が、昔と変わらずますますお元気な様子で、また、懐かしい友人にも出会って、とても楽しい1日であった。
思い返すと、学部の1回生の時に意気込んで教室に行ったら、どの教授も、詰まらなさそうに講義を黙々と消化しているだけだったので、「こんな詰まらん講義を90分も聞いていたら俺はアホになってしまう」と、早速サークルの部室に入り浸り、専門の勉強はなにもせず「ツモの時はピンフなし」とか麻雀のルールばかり覚えていったものだった。
2回生になって、法社会学という六法に載ってない怪しげな名前の講義に行くと、やたらテンションの高いオジサンが、教科書もなしに喋り倒していた。そして、六法に書かれていても、別の事情が働いて実現されていないことがある、六法に全て答えが載っていると思ったら大間違い、ということを熱心に説明していた。
法学とは六法を暗記することと思っていた私には、このオジサンの講義は大きな衝撃であった。さらにこのオジサンは、喋っている学生に対して「詰まらん講義に我慢して出席するよりも有意義な時間の過ごし方があるのなら、自分で考えてそっちを取りなさい」と言い放った。有意義な欠席という考え方がとても新鮮だった。
3回生でゼミの選択をするにあたって、すでにこのオジサン=丸田先生に大分影響されていた私は、「六法とか判例集とか、紙の上に書いてあることは、気が向いたら自分で勉強すりゃ良いのであって、大学では六法系以外のゼミにしよう」ということで、丸田ゼミに入ることにした。
この丸田ゼミの指導方針は、1:一般論はどうでも良いので、あなたの意見を言いなさい、2:少数意見でも胸をはって言いなさい、だったので、まさに当時(そして今も)強く影響を受けていたヘヴィメタルの精神性と合致していて、ゼミは非常に居心地が良かった。みんなで、ああでもない、こうでもないと議論し続けた。
今でもよく覚えているのは、時事通信社事件について議論している際に、私が通信社側を擁護した時である。丸田先生は、普段あまり結論めいたことを言わないが、この時は私と意見が対立して、しばらくゼミの教室内で2人だけの議論になった。今になって考えると穴のある主張だったかもしれないが、先生は私に自由に喋らせてくれた。
大学の研究者になろうかと手紙で相談した時も(当時先生はミシガン大学で客員教授をされていた)、返信で、客観的な情勢について説明した後に「決めるのはあなたです、決めたら直ちに取りかかる必要があります。Good Luck!」と書かれていたのを読んで、最終的に大学院進学の覚悟を決めた。自己決定の尊重が丸田流なのである。
ちなみに、大学院進学を決めてからは、上に書いた「紙の上に書いてあることは後で覚えりゃいい」と、コツコツやる勉強を甘く見ていた私にとって、試練の時期だった。勉強の絶対量が不足しているのだから、ある意味当然のことだった。まあ今となっては良い思い出である。
神戸大学大学院に進学してから先生にお会いする機会は大分減ったが、2001年から金沢大学で教える身分になって、先生と同業者になって、今でもいろいろとお世話になっている。最近は弁護士として活動され、また裁判員制度についても積極的に発言され、ますますお元気だ。
お祝いの会では、昔、ゼミ合宿で野球をした話もでた。ゼミにはスポーツ委員という委員がいて、スポーツイベントを企画し、時々先生も交えて野球をするのである。「丸田の小便カーブ」と対決して空振りしたことが懐かしく思い出される。今でも大学で時々バットを振っているそうである。
先生が、昔と変わらずますますお元気な様子で、また、懐かしい友人にも出会って、とても楽しい1日であった。
by eastriver46
| 2009-05-27 00:35
| イベント・旅行